2サイクルエンジン大好きです!
昔鈴鹿サーキットへレース観戦で通っていた当時、メインレースは国祭A級500ccクラスでした。当時は125ccも250cc、350ccもすべて2サイクルエンジン搭載のレーサー達がサーキットを走り回っていました。レース観戦中にかすかに匂ってくるカルストロールのオイルの匂い、暖気中の各レーサーの咆哮、特にメインレース前になるとHONDAやYAMAHA・SUZUKIのワークスマシン、NSR500やYZR500・RG-γの2スト4気筒エンジンの音にはしびれましたね。あー懐かしい。今でもYOUTUBEで走る姿を見られますが、やはり生で見た迫力には勝てませんね。と言うことで、今回はYAMAHAのYZRやTZに搭載されていた2ストロークエンジンについて少し調べて見たいと思います。
YAMAHAの自慢!7ポートピストンリードバルブエンジン
ヤマハの2サイクルエンジンにおける「7ポートピストンリードバルブ構造」は、1970年代前半に登場した、吸気効率と出力向上を両立させた革新的な技術です。
従来のピストンバルブ式の問題点
従来の2サイクルエンジンでは、ピストンの上下運動によって吸気ポートを開閉する「ピストンバルブ式」が主流でした。しかし、この方式には、
- 吸気タイミングの調整が難しい
- 高回転域での吸入効率が悪い
- 吹き返しによる混合気のロスが多い
といった課題がありました。
7ポートピストンリードバルブ構造の仕組み
ヤマハはこれらの課題を解決するため、「7ポートピストンリードバルブ構造」を開発しました。
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ピストンリードバルブの採用: ピストンバルブに加え、リードバルブを吸気ポートに設けることで、吹き返しによる混合気のロスを抑制し、吸入効率を向上させました。リードバルブは、混合気の吸入時には開き、燃焼室からの圧力がかかると閉じるため、一方向にのみ混合気を流すことができます。
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7ポート化: シリンダーに、吸気ポート、掃気ポート、排気ポートに加え、新たに補助掃気ポートを設けることで、シリンダー内の掃気効率を向上させ、より多くの混合気を燃焼室に送り込むことを可能にしました。
7ポートピストンリードバルブ構造のメリット
- 高回転域での出力向上
- 燃費の改善
- 排ガス低減
- スロットルレスポンスの向上
この技術は、当時のヤマハのトレール車やモトクロッサーなどに採用され、高い評価を得ました。代表的な車種としては、DT125、YZ125、AT125などが挙げられます。
参考情報
- 2ストロークとはなにか?! エンジン各パーツの持つ意味や役割 – ヘリテイジ&レジェンズ: https://handl-mag.com/gogo2st/210318-gogo2st-40th/
- 2ストロークエンジンについて その.1 – YDS CLUB – エキサイトブログ: https://ydsclub.exblog.jp/29915565/
補足
7ポートピストンリードバルブ構造は、ヤマハ独自の技術であり、2サイクルエンジンの性能向上に大きく貢献しました。しかし、環境規制の強化に伴い、2サイクルエンジン自体が姿を消しつつある現在では、この技術を見る機会は少なくなってしまいました。
YAMAHA独自の技術、Y.P.V.S (Yamaha Power Valve System) について。
Y.P.V.S (Yamaha Power Valve System) は、ヤマハ発動機が開発したオートバイ用2ストロークエンジンに装備される排気デバイスの略称であり、正式名称は「ヤマハパワーバルブシステム」である[1]。
採用されている製品にはVの上端を左右に伸ばした屋根で前部のYPと後部のSを覆っているデザインのロゴが表示されている(写真の車両を参照)。
概要
YPVSは1974年に2ストロークエンジンの排ガス対策として研究していた中から生まれた技術である[2]。1978年にヤマハのワークスレーサーのYZR500、モトクロッサーのYZM250とYZM125の3車種に採用[3]、市販車両では1980年のTZ500(市販レーサー)にて初めて採用され[4]、その後100cc以下の原動機付自転車を除くヤマハの2ストロークエンジン車の多くにトルク・インダクションやYEISと共に採用された。YPVSは本来エンジン出力向上に大きな効果のある技術だが、1980年の市販化の折にはYICS、YEIS、キャリブマチック(高地補正付キャブレター)と共に次代の環境対策技術として宣伝されていた[4]。
2ストロークエンジンは基本的な特性のひとつとして、排気タイミングが早いと高回転域での出力特性に対して利があるのに対し、低回転域での出力で不利になり、排気タイミングが遅いとその逆になる。その相反する関係を、排気タイミングを可変させることにより両立することを行なうためのデバイスである。基本的な構造としては、排気ポートに備えられた鼓型の可変バルブをガバナーもしくはモーターにより回転させる事によりエンジン回転数に応じた最適なポートタイミングを維持するというシステムとなる。低回転時ではバルブを閉じ排気タイミングを遅らせ、高回転時にはバルブを開き排気タイミングを早める。これにより、低回転時でも扱いやすく、高回転時にはパワーの出る2ストロークエンジンが実現される。
燃焼ガスの経路に可動部品がある構造であり、カーボンの付着などによる動作不良を予防するため、電気式YPVSにおいては毎始動時(メインスイッチON時)に鼓型バルブの全開動作および全閉動作を自動的に行うクリーニング機能を有している。
鼓型と発展形のスライド型(スライドバルブ方式)に大別されるが、スライド型はおもに競技用車両で採用され、市販車にはもっぱら鼓型が採用されている。市販車でスライド型を採用するのは1993年モデルから1994年モデルまでのTZR250RSPと、1995年モデルから1999年モデルまでのTZR250SPRの、2車種のみとなる。
YPVSは大変優れた技術で、特許が切れた時にはHONDAも搭載するつもりだったとのことです。やはりYAMAHAの2ストロークエンジン技術は凄いですね。
4ストロークへの応用
YPVSは基本的に2ストロークエンジンの為の技術であるが、1990年代には環境対策の一環として4ストロークエンジンへの応用が図られた記録が残る。
ヤマハは2ストロークでは排気ポート側に配置されていた鼓型回転バルブを、4バルブの4ストロークエンジンの吸気バルブ直前の吸気ポート内に設置し、吸気ポートの下半分を遮ることでポート形状を可変させることにより、シリンダー内部に強いタンブル(縦渦)を発生させる事を指向したシステムを1990年代初頭に開発し、1992年2月に米国特許を取得。このシステムはヤマハが1981年にT-VISで手がけた吸気ポート切替機構も内包していることが特色で、1994年には単気筒バイクへの展開も見越したとみられる2バルブ・半球型燃焼室型のシステム、1995年には自動車でも使われていた5バルブエンジン向けのシステムも米国特許が取得された。この時点までは正式名称が明らかになっていなかったが、同年のSAEインターナショナル会報にて、一連のシステムの正式名称がYTIS(ヤマハ・タンブル誘導制御システム、Yamaha Tumble Induction Control System)である事が発表された。
YTISは1998年にはEGRと組み合わされたシステム、2005年には当時東南アジア諸国で人気を集めていたアンダーボーン型フレームのスクーターへの搭載を志向したシステムの米国特許が取得されたが、その後もYTISを搭載した車種の発売が確認されないまま2010年に特許が失効し、現在に至っている。
黎明期のYAMAHAのオートバイたち
1955年から60年代のヤマハオートバイは、まさに黎明期から成長期にかけて、様々な試みが行われた時代でした。数々の個性的なモデルが登場し、後のヤマハの礎を築きました。主な種類は以下の通りです。
1. スポーツモデル
- YA-1 (1955年):ヤマハ初のオートバイ。ドイツのDKW RT125を参考に開発された125ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載。「赤トンボ」の愛称で親しまれ、レースでも活躍しました。
- YDS-1 (1959年):YA-1をベースに開発されたスポーツモデル。国産初の5速トランスミッションを搭載し、レース用パーツも用意されました。
- YD-1 (1963年):YDS-1をベースに、250ccエンジンを搭載したモデル。
2. ビジネスモデル
- YA-3 (1959年):YA-1をベースに開発されたビジネスモデル。セルスターターを装備し、使い勝手を向上させました。
3. スクーター
- SC-1 (1960年):ヤマハ初のスクーター。モノコックボディに、当時としては珍しかったセルスターター付きの強制空冷2ストローク単気筒175ccエンジンを搭載。トルクコンバーターを使用したオートマチックで、駆動はシャフトドライブ、前後サスペンションは片持ち縣架という先進的な設計でした。
4. オフロードモデル
- DT-1 (1968年):ヤマハ初のオフロードモデル。アメリカのモトクロスシーンを席巻し、オフロードバイクブームの火付け役となりました。
5. モペット
- MF-1 (1960年):ヤマハ初のモペット。50ccエンジンを搭載し、手軽な移動手段として人気を博しました。
これらのモデルに加え、様々な排気量、用途のモデルが開発されました。この時代、ヤマハは積極的に新技術を導入し、高性能で個性的なオートバイを次々と世に送り出しました。
補足
- 当時の資料は限られており、詳細な情報を得ることが難しいモデルも存在します。
- 上記以外にも、多数のモデルが販売されていました。
成長の1960年代
1960年代は、ヤマハ発動機が大きく成長した時代であり、様々な種類のオートバイを世に送り出しました。大きく分けて、以下の様な種類がありました。
1. スポーツモデル
- YD-1 (1957年~):ヤマハ初の2気筒エンジンを搭載したスポーツモデル。250ccクラスで、当時の若者を中心に人気を集めました。
- YDS-1 (1959年~):YD-1をベースに開発された、よりスポーティなモデル。国産初の5速ミッションを搭載し、レースでも活躍しました。
- YA-6 (1964年~):305ccの2ストローク並列2気筒エンジンを搭載したスポーツモデル。美しいスタイリングで人気を集めました。
2. 小型モデル
- MF-1 (1960年~):ヤマハ初の50ccモデル。モノコックボディやナイトハルト式フロントサスペンションなど、斬新なデザインと快適な乗り心地を実現しました。
- YG-1 (1963年~):73ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載したスポーツモデル。50ccを超える排気量で、新たなカテゴリーを確立しました。
- AT90 (1966年~):80ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載したスポーツモデル。高回転型エンジンとGPマシンを彷彿とさせるスタイリングで人気を集めました。
3. ビジネスモデル
- YA-5 (1961年~):125ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載したビジネスモデル。YA-1の後継機として、高い耐久性と信頼性を誇りました。
- YA-7 (1965年~):125ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載したビジネスモデル。YA-5をベースに、よりスタイリッシュなデザインを採用しました。
4. レーシングマシン
- RD56 (1963年~):250ccの2ストロークV型4気筒エンジンを搭載したロードレーサー。世界GPで活躍し、ヤマハの名声を高めました。
- RA31A (1968年~):351ccの2ストローク並列2気筒エンジンを搭載したロードレーサー。RD56の後継機として、世界GPで活躍しました。
これらの他にも、様々なモデルが1960年代に開発・販売されました。この時代は、ホンダとの激しい販売競争の中で、ヤマハは技術革新を続け、高性能で魅力的なオートバイを次々と生み出していったのです。
1970年代は、ヤマハ発動機にとって、2ストロークエンジンから4ストロークエンジンへの移行期であり、様々な革新的なモデルが登場した時代でした。代表的な車種をいくつかご紹介します。
2ストロークモデル
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RDシリーズ: 高性能2ストロークエンジンを搭載したスポーツモデル。RD250、RD350、RD400などが人気を博し、「レーサーレプリカ」の先駆けとなりました。
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TXシリーズ: 2ストローク3気筒エンジンを搭載した、個性的なスポーツモデル。TX500、TX650、TX750などがラインナップされました。
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GTシリーズ: オフロード走行を重視した、2ストローク単気筒エンジンを搭載したモデル。GT50、GT80などが人気を集めました。
4ストロークモデル
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XSシリーズ: ヤマハ初の4ストローク市販車であるXS-1を筆頭に、XS650、XS750、XS1100などが登場しました。
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SRシリーズ: 1978年に登場したSR400は、空冷単気筒エンジンを搭載したシンプルな設計で、ロングセラーモデルとなりました。
この他にも、GXシリーズ、DTシリーズなど、様々なジャンルのオートバイが1970年代のヤマハから発売されました。
YAMAHAのレース活動
1955年(昭和30年)に日本国内レースである富士登山レースや浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝を収めた。
ロードレース世界選手権には1961年から参戦を開始し、1964年に250ccクラスでチャンピオンを獲得。以降スズキと並ぶ2ストロークエンジンの雄として、中小排気量クラスを席巻した。
1969~1972年にワークス参戦を一時休止した後、1973年から最高峰クラスへ参戦。ヤーノ・サーリネンと金谷秀夫の2名が250ccと500ccにワークスマシンでエントリー。しかし、第4戦イタリアGP(モンツァ・サーキット)の250cc クラスでサーリネン選手が事故死。(オフィシャルがちゃんとこぼれたオイルを処理していたら起こらなかった事故でした)以降はYAMAHAワークスは出走しませんでした。当時MVアグスタのライダーだったジャコモ・アゴスチーニが初めてYZR500を見た時にチームの移籍を考えたとのことです。しかしサーリネン選手と金谷選手が1シーズン走ったらどれくらい活躍したか、今考えても残念な1973年でしたね。
その後移籍したにジャコモ・アゴスチーニが1975年にライダースタイトル、翌1976年にはコンストラクターズタイトルを、いずれも日本メーカーとして初めて獲得する快挙を達成した。またさらに翌年の1977年には、日本人ライダー初のチャンピオン(350ccクラス、片山敬済)も輩出している。
以降はホンダ、スズキ、ドゥカティと激しくタイトル争いを展開し、現在までワークス参戦を続けている。最高クラス(500cc→MotoGPクラス)ではこれまでにケニー・ロバーツ、エディ・ローソン、ウェイン・レイニー、バレンティーノ・ロッシ、ホルヘ・ロレンソ、ファビオ・クアルタラロがヤマハでチャンピオンとなっている。また日本人では原田哲也が250ccチャンピオンとなった。
市販車ベースのレースでも好戦績を残しており、北米では1970年代に盛んであったフォーミュラ750がTZ750のワンメイク状態になって、シリーズ自体を終焉させてしまったこともある。その後継となるAMAスーパーバイク/MotoAmericaでも、2010年~2020年の11年間に10度のチャンピオンを獲得している。国内でも全日本ロードレース選手権や鈴鹿8時間耐久ロードレースで幾度も優勝する等数ある実績を築いている。スーパーバイク世界選手権では2度のみだが、2009年にベン・スピーズ、2021年にトプラク・ラズガットリオグルがチャンピオンとなっている。
モトクロスでも、初期は2ストロークエンジンで活躍した。世界選手権ではスズキの後に参戦し、1977年に初めてタイトルを獲得。以降も現在までホンダやKTMと争いながら、30回近くライダースタイトルを獲得している。1990年代に北米AMAモトクロス/AMAスーパークロスで、日本メーカーとしてはいち早く4ストロークエンジンを投入したことでも知られ、こちらもホンダやカワサキと共に多数のタイトルを獲得している。2021年から国内でも2ストロークエンジンのモトクロッサーを復活させ、国内で10車種以上のオフロード競技用バイクを展開するなど、国内で最もオフロードに積極的なメーカーの一つとなっている。
ダカール・ラリーでは記念すべき開催初年度に総合優勝マシンとなっているほか、2年目には43台ものヤマハ製バイクがエントリーするなど初期に人気を集めた。80年代はホンダとBMWのビッグバイク勢に対して劣勢となるが、1990年代はステファン・ペテランセルを擁して黄金時代を築いた。彼の四輪転向後と同時に撤退した。2015年にワークス復帰するが、2022年をもって、北米市場へ注力するため再び撤退した。しかしラリーは継続しており、フランスのMBSM社が運営するテネレ・ワールド・レイドチームを通じて市販車ベースのラリー用バイクの供給を行い、排気量450cc以上の車種も参戦できるアフリカ・エコレースや各地のバハイベントに参加している。
来シーズン用のYZR M1
来年度は4台体制になって開発も進むと期待しています。パラレル4からV4にいつ変更になるのかも楽しみですね。まずは来年のテストにどちらの車が用意されるでしょうかね。出来たらV4マシンが出てくると期待していますがどうでしょうかね?
来年はHONDA共々MOTOGPを日本メーカーで席巻してここ数年の日本人MOTOGPファンの鬱憤を晴らしてください。お互い頑張れ~!!
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