HONDAの4サイクルエンジンへのこだわりを調べて見る。

バイクのメカニズム

ホンダが初めて海外レースで走ったマン島TTレースは、1959年のことです。

この時ホンダが投入した記念すべきワークスマシン第一号がRC142です。

RC142は、以下の特徴を持つマシンでした。

  • 空冷4ストロークDOHC4バルブ2気筒 125ccエンジン
  • 最高出力18ps/12,000rpm
  • 乾燥重量88kg
  • 最高速度180km/h

RC142に搭載されている125ccDOHC2気筒エンジンは今でも最新マシンに使える技術ですね。ここで開発されて熟成された4ストDOHCエンジンが今のHONDAのバイクを支えているのでしょうね。凄いことですね。

RCシリーズのレーサー達

HONDAには4ストエンジン搭載のワークスマシンが多数有ります。本田宗一郎さんがレースは走る実験室だと仰られたの言葉通り沢山のマシンがサーキットを走り、そこで生まれた技術が一般車にフィードバックされています。今回はRCシリーズのレーサー達をご紹介します。

RC142

RC142は、空冷4ストローク4バルブ直列2気筒125 ccエンジンを搭載した1959年型ワークスマシンのロードレーサーである。ロードレース世界選手権第2戦イギリスGP/マン島TTクリプス・コース)に出場し、6位(谷口尚巳)、7位(鈴木義一)、11位(鈴木淳三)となり、チーム優勝する。

RC142の仕様

  • エンジン – 空冷4ストローク4バルブ直列2気筒
    • 出力 – 17.4馬力
  • ギアボックス – 5段

RC143

RC143は、空冷4ストローク4バルブ2気筒125 ccエンジンを搭載した1960年型ワークスマシンのロードレーサーである。

2RC143

ホンダ2RC143(1961年型)

2RC143は、RC143の後継機の1961年型125 ccワークスマシンのロードレーサーである。ロードレース世界選手権1961年シーズン後半にデビューする。

RC144

RC144は、RC141を改良した1961年型ワークスマシンのロードレーサーである。エンジンの出力不足と多発するエンジンの故障によりロードレース世界選手権1961年シーズン途中でRC143の後継機である2RC143に道を譲る。しかし、イギリスGP/マン島TTでは、マイク・ヘイルウッドのライディングにより優勝を勝ち取り、2位となったルイジ・タベリはこれまでのラップレコードを破った(ファーステストラップ 25’35″6、平均速度 142.35 km/h)。

RC145

RC145は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列2気筒125 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである

RC149

RC149は、125 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである

250 ccクラス

RC160

RC160は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載した1959年型ワークスマシンのロードレーサーである。排気量250 ccのエンジンで4気筒の採用は世界初である。第3回全日本オートバイ耐久ロードレースでデビューし、1-2-3フィニッシュでデビュー戦を飾る。

RC161

RC161は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載した1960年型ワークスマシンのロードレーサーである。キャブレターを4個装備しており、250 ccエンジンとしては世界初である

RC162

ホンダ RC162

RC162は、1961年型ワークスマシンのロードレーサーである。イギリスGP/マン島TTでは、マイク・ヘイルウッドのライディングにより優勝を勝ち取り、5周目まで先頭を走っていたボブ・マッキンタイヤのファーステストラップは今までのラップレコードを破った(ファーステストラップ 22’44″0、平均速度 160.22 km/h)

RC163

RC163は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである

RC164

RC164は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。

RC165

RC165は、4ストローク直列6気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。しかし、250ccで6気筒とは凄いですね。CBX1000の6気筒でも驚きました。

 

350 ccクラス

RC170

RC170は、空冷ストロークDOHC4バルブ直列4気筒285 ccエンジンを搭載したロードレース世界選手権350 ccクラス用1962年型ワークスマシンのロードレーサーである。RC163の250 ccエンジンのボアを3 mm拡張して285 ccエンジンとした。過去数年のイギリスGP/マン島TTの記録では、前年(1961年)のマイク・ヘイルウッドが駆る250 ccマシン(RC162)の方が350 ccマシンよりも平均速度が速かったため、285 ccエンジンでもマン島TTを制することができると踏んで開発されたマシンで、ホンダはマン島TTに2台で参戦するが、トム・フィリスはローレルバンクで事故死、ボブ・マッキンタイヤはリタイアとなる

RC171

RC171は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1962年型ワークスマシンのロードレーサーで、オランダGP/ダッチTTから投入される

RC172

RC172は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1963年型ワークスマシンのロードレーサーである。もともとは、1964年ロードレース世界選手権350 ccクラス用マシンとして開発していたが、第4戦イギリスグランプリ/マン島TTに350 ccで優勝すべく投入。その後、最終戦の日本GP(鈴鹿サーキット)に再登場

2RC172

2RC172は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1965年型ワークスマシンのロードレーサーで、RC172の改良型である

RC173

RC173は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1966年型ワークスマシンのロードレーサーである

RC174

RC174は、4ストローク直列6気筒297 ccエンジンを搭載したロードレース世界選手権350 ccクラス用1967年型ワークスマシンのロードレーサーで、このマシンのエンジンは250 cc直列6気筒エンジンを基に開発された。WGPでは8戦に出走し、7勝する

500 ccクラス

RC180

RC180は、4ストローク直列4気筒500 ccエンジンを搭載したロードレース世界選手権500 ccクラス用の試作機である

RC181

マイク・ヘイルウッドが駆ったRC181

RC181は、4ストローク直列4気筒500 ccエンジンを搭載した1966年型ワークスマシンのロードレーサーで、ロードレース世界選手権500 ccクラスでメーカーチャンピオンを獲得した

2RC181

2RC181は、4ストローク直列4気筒500 ccエンジンを搭載した1967年型ワークスマシンのロードレーサーである

全日本選手権シリーズではホンダはワークスマシンを走らせず、CB500改を隅谷守男選手が乗って戦っていました。1972年の日本GPでは予選で2分27秒7の新コースレコードを記録。マイク・ヘイルウッド選手の記録を見事に書き換えました。

隅谷選手の走っている姿は残念ながら見ることは出来ませんでした。私がオートバイに興味を持ちだした頃に、ボルドール24時間耐久レースでの練習中に転倒、お亡くなりになりました。

隅谷選手がマイクヘイルウッド選手のコースレコードを破った事で日本人ライダーも世界で戦えることを示し、アメリカのデイトナ200マイルレースでも活躍。次は耐久レースにステップアップを目指しておられた所でのアクシデント(RCBのテストだったそうです。真意は不明)、非常に残念です。本当に一度鈴鹿サーキットを走っておられる姿を見たかったですね。

異色のGPマシンNR500

1979年型NR500(ゼッケン5は片山敬済)
NR500のピストン周り

2ストロークエンジンはクランク軸の1回転ごとに爆発行程が1回あるが、4ストロークエンジンは2回転に1回と半分であるため、同じ排気量と回転数では2ストロークエンジンより出力が低い。しかもNRの開発が開始された当時のロードレース世界選手権(当時通称:WGP 現:MotoGP)のレギュレーション(車両規定)は、現在のMotoGPとは異なり4ストローク車に排気量のハンディキャップは与えられず、また最大シリンダ数が4と制限されていたため、ホンダが得意としていた5気筒、6気筒エンジン等の多気筒エンジンは採用できなかった。

そこでNRブロックの総責任者であった入交昭一郎は従来の2つの気筒の円を直線で繋いだ形の長円ピストンを発想し、最大4気筒というレギュレーションを満たしつつ、V型8気筒と同じ32本の吸排気バルブ、8本の点火プラグと1気筒あたり2本のコネクティングロッドを備えたV型4気筒長円ピストンエンジンを開発した。こうして理論的には2ストロークに対抗できる可能性のある4ストロークエンジンが完成した。

この長円ピストンは関係者の間でUFOピストンの名で呼ばれ、技術開発(特にピストンリング)にまつわる特許申請の都合上、NR500および長円ピストンエンジンの研究が終了する1984年頃までピストン形状が長円であることは秘匿とされた。

NR500サイドビュー
NR500 2Xモデル(1982年全日本選手権仕様)[1]
NR500用エンジン(1987年東京モーターサイクルショーにて展示)
NR500の楕円ピストン周り(1987年東京モーターサイクルショーにて展示)

この車両の開発において、アルミモノコック・フレーム、倒立フロントフォーク、サイドラジエータなどの新しい技術が生まれ、特に当時レースマシンの主流であった2ストロークエンジンと比較して強力な4ストロークエンジン特有のエンジンブレーキによる後輪のホッピングを防ぐ機構がバックトルクリミッターとして同社の市販車にフィードバックされた。

主要諸

1979年 0X
エンジン – 水冷4ストローク・DOHC32バルブ・バンク角100度V型4気筒ガソリンエンジン
排気量 – 499.5 cc
最高出力 – 115ps以上/19,000rpm
最大トルク – 4.6kgm/16,000rpm
乾燥重量 – 130kg
変速機 – 常時噛合式6段
フレーム形式 – アルミモノコック
懸架方式 – 前・テレスコピック(倒立)、後・スイングアーム
ホイールサイズ – 16インチ
1980年 1X
最高出力 – 120ps以上/19,000rpm
フレーム形式 – 鋼管フレーム(ダイヤモンド形状フレーム)
懸架方式 – 前・テレスコピック
ホイールサイズ – 18インチ
特記 – バックトルク・リミッター採用
1981年 2X
エンジン – 水冷4ストローク・DOHC32バルブ・バンク角90度V型4気筒ガソリンエンジン
排気量 – 498cc
最高出力 – 120PS以上 / 19,000rpm
フレーム形式 – スチールパイプ製クレードルフレーム
懸架方式 – 前・テレスコピック、後・スイングアーム
1982年 NR500-4 全日本選手権最終戦・日本GP用最終モデル
エンジン – 水冷4ストローク・DOHC32バルブ・バンク角90度V型4気筒ガソリンエンジン
排気量 – 499.49cc
最高出力 – 128ps/19,000rpm
最大トルク – 4.8kgm/15,000rpm
フレーム形式 – ダブルクレードル
特記 – フレームがアルミ製
1983年東京モーターショーに参考出典されたNR500(3Xモデル)
1983年 3X 東京モーターショー出展モデル
排気量 – 499.5cc
フレーム形式 – ダイアモンド
特記 – マクドネル・ダグラス社(現:ボーイング)の協力によりフレーム、ホイール、フロントフォークインナーチューブ、スイングアーム等がCFRP製で、エンジンにもチタン合金やマグネシウム合金を多用

開発までの経

NR500は1979年にホンダがロードレース世界選手権(WGP)復帰するに際して開発した4ストロークエンジン搭載レーサーモデルである。革新的な技術のもとに勝利するというテーマから、New Racingを略してNRと名付けられた。

当時のWGPはスズキのRGシリーズやヤマハ・YZR500に代表される2ストロークエンジン車がタイトルを独占していた時代であったが、ホンダが社として、“うちは4ストローク屋”という意識 から4ストロークエンジンを推進していたこと、他社の真似はせず独自の技術を開発するという創業者・本田宗一郎以来の社風、またこれ以前の参戦では最高峰の500ccクラスにおけるライダー及びコンストラクター・タイトルを獲得できなかったこと等の理由から、4ストローク500ccでのマシン開発が決定した。

また、技術者を育成し、開発した技術を市販車に生かすという「走る実験室」としての目的も兼ねており、開発チーム(NRブロック)はレース経験のない若い技術者を中心に結成された。

WGPでの苦戦と開発の断

1979

1979年6月のプレス発表で初めて公に存在を示したNR500だが、実際にWGP 500ccクラスにデビューしたのは8月に入ってからの第11戦イギリスGPだった。片山敬済とミック・グラントという二人のライダーに託されたNR500は、予選では片山がトップから7秒遅れのタイムで予選通過、グラントはトップから8秒遅れで予選通過タイムを出すことができなかったが主催者の特別措置によって決勝に出場することができた。しかし決勝ではスタート直後にグラントが自らのマシンから噴き出したオイルに乗って転倒した上にマシンは炎上、片山も点火系トラブルで数周でリタイヤを喫してしまう。片山とグラントは最終戦フランスGPにも出場したが二人とも予選落ちという、NRにとって基本的な性能の面で他社マシンと比較せずとも、そもそもグランプリを戦えるレベルのマシンに達していないということが露呈したデビューイヤーとなってしまった

1980

1980年型のNR500はアルミモノコックフレームではなく、鋼管ダイヤモンドフレームを採用して登場した。一般的なスチールフレームの半分以下という軽量さが利点のアルミモノコックフレームであったが、実戦においてキャブレターのセッティング変更にもエンジンの積み下ろしをしなければならないというエンジン上方の整備性の悪さが深刻な問題となり、シーズン開幕直前のテストでモノコックフレームの廃止が急遽決定した。新たに設計する時間的な余裕がなかったため、この年のフレームはマン島TTレースなどで実績のあったイギリスのフレームビルダーのものが採用された。エンジンも大幅な仕様変更を受け、前年のサイドカムギアトレーン駆動方式からセンターカムギアトレーン駆動方式となって耐久性が大幅に向上するとともに出力も19,000rpmで120ps以上にまで高められた。その反面、耐久性のためにエンジン重量が65kg程度に増加し、約50kgだった同時代の他社の500cc2ストロークエンジンに対して不利となった

しかし、レースとなるとエンジンは前年に比べ格段に戦闘力が向上していたものの、元々基本設計が古かったフレームの剛性不足が問題となった。この年はフィンランドGP、イギリスGP、西ドイツGPの3戦に出場し、片山敬済がイギリスで15位、西ドイツで12位と完走するものの前年に続いてNR500はポイントを獲得することはできなかった。それでもフィンランドGPの直前にミサノで行われたインターナショナルレースに出場した片山が5位に入賞しており、前年の「走ることすら難しい」という状況からは脱しつつあった

1981

1980年のシーズン中から新たな専用フレームの設計に着手されており、1981年のNR500は当時のスタンダードであるスチールダブルクレードルフレームとなった。エンジンはシリンダーヘッド周りのコンパクト化などにより理想的なエンジンバンク角である90度となり、前年モデルらと比較するとさらに高回転化され、材質の変更や加工精度の向上などもあってほぼ当初開発時における目標数値である130ps/19,500rpmの出力と56kgまでの軽量化を達成した

この年のNR500はグランプリの開幕戦からエントリー(ライダーは片山)し、第6戦までで13位完走が1回と相変わらず結果は残せなかったものの、成績が悪い原因は始動性の悪さとマイナートラブルによるものが大きく、レーシングマシンとしての実力は他社ライバルマシンに追いつきつつあるように思われた。このことは日本国内でNRの開発を担当していた木山賢悟が全日本選手権第6戦の鈴鹿200kmレースでNRの初優勝を飾ったことでも証明された。(このレースは鈴鹿のメインスタンドで観戦していました。YZRの木下選手との大デッドヒートを制しての勝利で素晴らしいレースでした。)そしてNRのポテンシャルを確認するために片山と木山以外のライダーを乗せることが検討され始め、当時AMAスーパーバイク選手権におけるホンダのエースであったフレディ・スペンサーを起用してNRでのグランプリ出場が決定する

まず7月にラグナ・セカで開催されたインターナショナルレースに出場したスペンサーは予選ヒートレース(レース形式の予選)でYZR500を駆るケニー・ロバーツを破って1位を獲得。2ヒート制の決勝レースでは両ヒートともリタイヤに終わったものの、第1ヒートではリタイヤするまで2位を走行するという速さを見せた。そして8月のイギリスGP、予選11位からスタートで出遅れたスペンサーはベストタイムを更新しながら追い上げ、5位まで浮上したところでエンジントラブルによってリタイヤとなった。原因は2万回転以上にまでエンジンを回したことによるバルブスプリングの破損だった。この年はこれ以降のWGPレースにNR500が姿を現すことはなく、デビューからの2年間に比べれば大きく進歩を遂げたもののこの年もNR500はポイントを獲得することなくシーズンを終えた

一方、NRブロックでは1980年の終わり頃から2ストロークエンジン搭載マシンの開発が密かに始まっており、1981年の12月にはモトクロス用125ccエンジンをベースとした500cc3気筒エンジンを積む軽くコンパクトな新型2ストロークマシンが完成していた(これが1982年にNS500としてデビューすることとなる)

1982

この年、格段の進歩を遂げた前年型から更なる熟成を目指したNRであったが、スペンサーや片山といった主だったライダーにはこの年デビューした2ストロークマシンのNS500が与えられ、グランプリでNRに乗るのはこの年から搭乗することになったロン・ハスラムのみとなった。しかも開発側のウェイトはNS500の方に大きくシフトしており、前年の終わりから開発が始まっていたNRのアルミフレームが実戦に登場したのは9月になってからの日本GP(全日本選手権)だった。結局、全日本選手権では木山が上位入賞を記録したが、グランプリの方では数戦で完走を果たしたものの最高位はベルギーGPの11位に留まり、NS500がデビューシーズンを開幕戦3位、ベルギーGPで初勝利を飾るなど好成績を挙げていたこともあって開発チーム(NRブロック)はNSの開発に総力を注ぐこととなり、NRのグランプリ向け実戦開発は終了した。また前述の日本GPがNR500の最後の実戦となった

1983年東京モーターショーに展示されたカーボンフレームのNR500
1983

1983年開催の第25回東京モーターショーで、1台のNR500が参考展示された。これはフレームやスイングアーム、フロントフォークのインナーチューブまでといった足回りが炭素繊維強化プラスチック(CFRP)製、エンジンブロックはマグネシウム合金製、ボルト類はチタン合金製という当時最新の軽量素材をふんだんに使用したもので、グランプリ向けNRプロジェクトの集大成として135psのエンジン出力と125kgの車体重量を目指して試作されたものだった。ちなみに1982年型のNS500は122ps/118kg、同じく1982年型のヤマハ・YZR500は130ps/122kgである。このマシンはあくまでも実験車に留まり、参考展示時からアッパー及びサイドカウル、メーター類は装着されておらずレースを走ることはなかった。

NRの開発過程で得られたエンジンや車体設計技術は、市販車のVFシリーズVFRシリーズRVFシリーズVT250シリーズ(後にVTRへ発展)・VTR1000Fなどにフィードバックされ、2020年時点ではVFR800F及び兄弟車種のVFR800Xが市販されていたが、2022年4月28日発表の「令和2年排出ガス規制」対応のため2022年10月生産分を持って生産終了が決定された。これによりホンダのV4エンジン搭載市販車は姿を消すこととなった。

現在のMOTOGPでは、RC213Vが苦戦しています。来シーズンはなんとか盛り返して、YAMAHAと共に日本メーカーで上位争いを繰り広げてくれないかなと期待しています。エンジンも今の技術ならNR500で問題になっていた楕円ピストンの圧縮漏れも対処出来るのでは無いかなと思いますが、どうでしょうか? 楕円ピストン仕様のRC213Vの姿をぜひ見たいと期待しますが、無理かな?

まだホンダのレーサー達、全部紹介しきれていません。少しずつでも記事を増やして行きたいと思います。今回はこれでご勘弁を(笑)

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